共感しない母と共感してほしい娘の不毛な関係

家族の迷走
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共感力とは、他者の気持ちや考えに寄り添い、それを理解する能力のこと。

この共感力ってのは、人間関係を築くのには本当に大事な能力なんだなぁと思う。

そりゃあ、他人の気持ちなんてどんなに考えても100%理解できないことは分かっているが、理解しようとする姿勢が大事なわけで。

そんな共感力がない人との会話は、苦しくて、寂しくなるばかりである。

大人になって気がついたのだが、私の母には共感力がない。

というか、何故か、私にだけは、全く、絶対に、共感しないという、不思議。

子供の頃、時々ばあちゃんが私の髪を切ることがあった。

ばあちゃんは大正生まれの、見た目とかよりもシャンプー代や洗う手間がかかる方が気になるという昔の人で、ばあちゃん自身も男の人のように髪が短かった。

そんなばあちゃんは、私の長くて量の多い髪がいつも気になっていた模様。

その髪を、ばあちゃんが唐突に「切ってやろうか?」と言い出すのである。

正確には髪を切るといっても、量を減らすために半分が櫛になっているすきバサミを使って間引きするだけなのだが、これが本当に嫌だった。

「嫌だ!!」そう言って泣き叫べば良かった(と今なら思う)が、そんなことをばあちゃんに対して言えない私は、いつも助けを求めて母を見た。

が、母は決まって笑いながら「いいじゃん、切ってもらいなさいよ。」と言うのである。

その時、自分がどんな顔をしていたのかは分からない。

でも、すごく嫌で泣きたい気持ちになっていたことは今でも覚えている。

そんな気持ちの私をよそに、いそいそと自前のハサミを持ってきて準備を始めるばあちゃんと、それを手伝う、母。

椅子に座ってゴミ袋(だったような?)を首に巻かれた時は、もはやギロチンにかけられるマリー・アントワネットの気分。(大袈裟)

ばあちゃんが適当に髪をつかんでハサミを入れるのだが、自分の髪がボトボトと落ちていくのを見る度に本当に泣きそうになったのを覚えている。

今でも思う。泣けば良かった。( ;∀;)

まぁ、すきバサミなので、ロングヘアからショートヘアになっていたなんてことはない。

切り終わった後にパッと見は分からないので、子供ながらにホッとしていたが、かなりワイルドに掴んでいたので長い髪と短い髪が混在した不思議なヘアになっていたに違いない。

いつもポニーテールをしていたが、よくアホ毛が飛び出していたもの。( ̄Д ̄)ノ

大人になってばあちゃんも亡くなった後、母と昔話をしていた時であろうか。

そんなばあちゃんが髪を切った時のことを思い出し、「本当に嫌だった。」と何十年の時を経て母に言ったことがある。

するとどうでしょう。母は「それでもばあちゃんは、他の人(孫)に比べたら、あんたたち(姉妹)を大事にしてきた方よ。」と、ソッコーで今は亡きばあちゃんの方に寄り添うではないか。

むしろ、そんな「嫌」という感情を持つ私の方がおかしいくらいの言い草。

why!? ( ゚д゚)

そりゃ、私も大人になった今なら分かる。

ばあちゃんに悪気はなく、良かれと思って私の髪を間引きしていたこと。

義理の母であるばあちゃんに、母がいい顔をしていたこと。

でも私は「女の子が髪を切られるのは嫌だっただろうな。」とか「嫌な思いをさせちゃったね。」とかいうような、私の気持ちに寄り添ってくれるような言葉が欲しかったのである。

ばあちゃんだから寄り添うというわけではなくて、赤の他人の話にも寄り添ってあげられることのできる、優しい母。

ちゃんと共感してあげられているからこそ、いつも人に囲まれて友達も多いんだろうと思う。

しかし、何故か私の話となると、必ず私以外の誰かの方に共感してしまうというのは、いったい何なのか。

それが母自身が悪口を言っていた(はずの)人であろうとも。

why!? ( ゚д゚)

子供の頃から、母と話をしてもモヤモヤしたり、がっかりすることが多かった。

一生懸命話をしても、全く共感を得られないというは、やはり寂しい。

いつしか自分のことを母に話すのが苦手になったが、最近では母の話を聞くのも苦手になった。

共感されない相手の話に、共感するような姿勢を取るって大変なんだよなぁと思う、えみ子さんなのであった。

ではでは。

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