母が娘にかけた、呪いの言葉

内面の迷走
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幼い頃、母親が何気なく放った言葉が、何十年と忘れられない人は結構多いんではないだろうか。

その言葉がポジティブなものなら自分を肯定する力となるが、ネガティブな言葉だと呪いの言葉となって、いつまでも自分を苦しめる。

しかし、そのような言葉は、大抵、母親は何とも思っていないし、悪意も全くなかったりする。むしろそんなことをいつまでも気にしている方が、おかしいと思っている。(個人的予想)

母親にとってはその程度のことでも、娘にとっては呪いの言葉になり得るのだと言いたい。

呪いの言葉

子供の頃に掛けられて、今でも忘れられない言葉は色々とあるけれど、今の自分に根深く残っている言葉だなと思うのは、「他の人はもっと大変」とか「痛いと思うから、痛い」といった言葉たち。

こうやって書いてみると、本当にしょーもない言葉に囚われていると、自分でも思う。

私の母は、私が体調不良を訴えても、真剣に取り合ってくれる人ではなかった印象。

まぁ、基本は健康優良児だったし、こうやって今も元気に生きているとうことは、大したこないのに、幼かった自分の甘えた訴えだったのかもしれない。

一番痛みを訴えた回数が多いのが生理痛だったのだが、生理が始まったばかりの頃、お腹が痛くて横になっていると、「痛いと思うから痛い」「じっとしているから、痛いんだ」というようことを、よく言われてた。

ちなみに母には生理痛はなかったので、痛み止めはあまり飲まない方がいいという、よく分からない方針もあった。

当時は、よくこんなことを思ったのを覚えている。

『他の人はもっと痛い思いをしているのに、我慢しているの?』『みんなが我慢できる痛みなのに、自分はなんで我慢できないの?』

痛みを感じる自分がおかしいのかとさえ思っていた。

呪いの効力

すっかり大人になった今でもその効力は絶大で、今でも『どこまで痛いのを我慢したら、会社休むって言ってもいいのか分からない』という病を患っている。(大袈裟)

働き出してから20年以上、私は一度も体調不良で仕事を休んだことはない。

無理に出社して他の人に迷惑をかける可能性もあるので、いいことだと思っている訳ではないが、頑張れば出社できてしまうので、本当に境界線が分からない。

なので、本当に体調不良の時は、いっそのこと気絶してしまいたいと思っている。

数年前、腰を思いっきり痛めたことがあった。いわゆる、ギックリ腰というやつだ。

普通に歩けなくなる程の激痛だったが、それでも一応、出社した私。

あまりに普通じゃない状態の私に、上司から早退命令が下ったが、一日だけ。それ以外は腰に注射を打ってもらい、薬を飲みながら仕事をしたのである。

その事を知った、他の部署の女の子に「どんだけ痛みに強いの?」と言われ、衝撃。

私は、今まで『ものすごく痛みに弱い人間』だと思っていたのだが、そういえば他の部署のギックリ腰をした人は、何日か連続して休んでいたような気がする・・・。

呪いを解く

自分が痛い・ツラい・しんどいという事を言い出せないのを、母のせいにしている酷い娘という見方もできる。

母は母なりの、体調不良の時の乗り切り方を教えただけなのかもしれないし。

実際、母と昔話をしている時に「こんなことが嫌だったわー」というようなこを、やんわり言ってみても、ほぼ笑い話で終わる。

そう、母にとっては大した問題ではないのである。

そうすると、いつまでもモヤっている自分に、今度は罪悪感を覚えるのだ。

「お母さんのせいにして、ごめんなさい」呪いって強力。

これはもう、母の価値観が娘の無意識に侵食されている。

(当たり前だが)母と娘は違う人間であることを、強く意識することが大事。

自分の痛い・ツラい・しんどいという感情は、べつに母が認めなくてもいいのだ。自分の事は自分が労わらなくてどうする!

『母と私は違う』この言葉を自分に言い聞かせることで、呪いを解きたい、えみ子さんなのであった。

ではでは。

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