嫌なことは嫌と言う大切さ

人間関係の迷走
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嫌な頼まれごとをされた時、ハッキリ嫌だと言える人はどのくらい居るんだろうか。

私は言えない事が多い。

頼み事をする人にとっては些細な事でも、嫌なものは嫌。

そう思っても、言えないのは嫌われたくないからなのかもしれない。

が、自分の感情よりも、相手の事を優先させ続けると、最終的にはその相手との人間関係そのものを終了させたくなる。

それはリセットボタンを押すかのように。

どうせ破綻してしまうなら、きちんと嫌だと言ってみよう。

意外と、そっちの方が良い関係を保てるのかもしれない。

なぜ嫌と言えないのか

それはもう、相手に嫌な思いをさせそうで怖いってこと。嫌われたくないのだ。

それが自分にとって大事な人でなかったとしても、できるだけ良い人と思われたい願望がある。私だけ?

以前、友人とよくご飯を食べに行っていた時、気がついたら頻繁に旦那さんも一緒に来るようになったことがある。

本当は、「旦那さんが来ると、気を遣うから行かない」と、ハッキリ言いたかった私。

でも言えなかったし、それなりに笑って対応するので、当然、同伴することをなんとも思っていない相手は、毎回旦那さんを連れてくるようになった。

今思えば人の旦那さんに『嫌なやつ』と思われようと、どうでもいいはずなのに、ただひたすら耐えて、無駄な時間をすごしてしまった。

で、ハッキリ嫌だと言えずどうなったかというと、その友人だった人とも会いたくなくなり、関係が切れてしまったのである。

断る勇気

断る勇気=嫌われてもいいやと思う。(と、何かで読んだような)

自分が嫌だと思うことを、断れないような人間関係なら大したことないし、嫌われても上等。

そうは言っても、相手に合わせる事が、当たり前になっている人が断るのは難しい。

嫌な事を頼まれる事が続くようだったら、事前にイメージトレーニングをしてみてはどうだろう。

  • 嘘も方便で「用事がある」「都合が悪い」
  • どストレートに「嫌です」「無理です」

それらの断る言葉の前に、「ごめんなさい」を付けとけば、完璧ではないだろうか。

ちゃんと断れる勇気を持って、自分で「嫌な事を我慢するストレス」から、守れるようになりたいものである。

我慢しても良い事なし

我慢し続けても、自分の限界が来ればその人との関係は終わる。

たとえその人との、楽しい思い出があったとしても、我慢が重なればそれらは台無しに。

それって、もったいないような気もする。

アラフォー独身女は人に会いたくないけど、寂しい

嫌なことは嫌と、ハッキリ言うことで、相手はちょっと嫌な気分になるかもしれない。

でも、自分が考える程大したことじゃないかもしれないし、嫌われるとも限らない。

一度、勇気を出して断ってみよう。(と、自分に言い聞かせる)

自分の嫌と思うものが、ちゃんと相手に伝わり、より良い関係が築ける一歩となるかもしれないのである。

ではでは。

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