無職になって、というか無職になる予定になってからというもの、ものすごく節約を意識してきたつもりである。
悩んだ末に子供部屋おばさんとして生活している私だが、金銭面だけで考えたら実家に戻ったのは正解だったと思う。
一番大きかった家賃を抑えられることはやはり大きいし、その分、今からのことを考える時間的余裕も生まれた。
無職の現在、通帳を見るたびに心臓が痛くなるが、今までの反省を踏まえこれから先のお金の使い方もよく考えないといけないと思っている。
若かりし頃は欲望のままに洋服や靴を買い、毎日コンビニ弁当を食べ、休日にはスタバでお茶をするような生活を続け、自分の収支も把握していないくらいのどんぶり勘定であったのだが、やはりそのような金銭感覚のまま無職にならなくて良かった。
あのような生活ができたのは、間違いなく船に乗り続けてきたおかげと言えよう。( ̄Д ̄)ノ
そして、あのままの金銭感覚のままでいたら、間違いなく現在の散財系の母と同じ道を辿っていたはず。
家の中にはタグがついたままの洋服、食べたくなくてもお腹に無理やり押し込まないと消費仕切れない食材、ホコリの溜まった置物。
本人はこれが豊かな生活だと言っているし、若かりし頃の自分も買い物が好きで同じように思っていた。
しかし、結婚もしていない、この先の収入がどうなるのかわからない身が、このような生活を幸せと思っているようでは絶対に不幸にしかならない気がする。
何かの本に書いてある文言と同じようだなと思った、そこのアナタ、正解!( ̄∀ ̄)
偉い人が書いた何かの本を読んで、もろに影響されての意識改革である。
自分の金銭感覚を再認識しようとする一方で、本当に好きだと思う事、必要だと思う事には、気持ちよくお金を使えるようにしたいと思うようになった。
若かりし頃の無駄使いを大いに後悔していたが、今度は節約をしていても、趣味に使う(本を買う)のにも罪悪感を感じてしまうようになった不思議。
好きなことのために使うお金に罪悪感を感じてしまうって、それはなんかちょっと違うような気がするし、全然楽しく生きれないのだよ。
そんな時、10年以上前からファンであったブログの主が、自然保育園の代表になり、その保育園の修繕費の寄付を募っていることを知った。
普通ならそのような募集をネットで見ても、スルーすること間違いなしなのだが、何年もそのブログを見続けていた私はそのブログ主を尊敬していたし、憧れていたこともあり、応援する気持ちを込めてポチッと寄付。(雀の涙ほど)
ポチッとする時は、無職の身で何を考えてるんじゃ!??と自分でも思ったのだが、無職の自堕落な生活でただ消費するより未来ある子供のために使ってくれるなら、これは有効的なお金の使い方と言える。(と思いたい)
まだ迷走しておるな( ̄Д ̄)ノ
自分のために使うにしろ、人のために使うにしろ、最後にはちゃんと自分が納得できる使い方ができるようになりたいと思う、えみ子さんなのであった。
ではでは。
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