40年以上も生きていると、良い恥のかき方、悪い恥のかき方というものがあるなと実感する。
が、今まで色々と恥をかいてきたが、どちらの恥であっても心臓に悪いのには変わりない。
正直、恥をかかないまま生きていけないのかと考えてしまう、ワタクシ。
良い恥
良い恥というのは、自らチャレンジした後に失敗するような、自分を成長させる時にかく恥だと思う。
こういう恥は、若い時にじゃんじゃんかいた方が良いと思うし、かいた数だけ経験値が上がってくるハズ。
私は若い頃、こういう恥をかくことを恐れて生きてきたので、経験値の低い、チャレンジ精神の乏しい大人になってしまった。(と、感じている)
例えば、私は人前に出るのは大の苦手だったのだが、前職で会議の司会などをしたことは良かったと思える。
しょぼいチャレンジかと思われるかもしれないが、それまでそのようなことから逃げまくってきた人生だったので、私にしてみれば毎回心臓がどうにかなりそうだった.
おまけに成長を感じた訳ではなく、自分のポンコツっぷりを露呈しただけ。( ;∀;)
が、どう頑張っても向いていないことと、ポンコツがバレても○んだりしないことが分かったことは、良かったと思う。
そこは完全に諦めて、違う分野で頑張ろうという決意もできた。
悪い恥
変わって、悪い恥というものがどんなものかというと、自分の意思とは関係なく他人に晒されるような恥だと思う。
私の母は、私の失敗や人に知られたくないようなことを、親戚の集まりなどで面白おかしくみんなの前で披露するようなタイプであった。
その中でも一番の恥として憶に残っているのは、学生の頃に隠し持っていたエロ漫画の存在を、家族の食事中に咎められたことである。
エロに興味を持つのは男子学生だけではない、女子だってエロに興味を持つお年頃だったのだ。
見て見ぬ振りをしてくれればよかったのに!と、今でも思う。( ̄Д ̄)ノ ワタシダケ?
当時、それを聞いた父のてっちゃんが、ニヤニヤした顔で私の方を見た時、消えてしまいたいくらい恥ずかしい思いをしたことを覚えている。
良い恥と違って、こういう他人から晒される恥というのは、成長させるどころか後退させる。
この一件で、私の性格は間違いなくひん曲がったと言えよう。
恥捨て
自分が恥だと思っていることは、他人から見たら不思議なほど何ともなかったりするし、考えすぎの部分が大きいことも分かっている。
恥を恥とも思わないで行動できるようになると確実にチャンスは広がるし、最強だと思うが、なるべく恥をかきたくないと思ってしまうのだからしょうがない。
しかし、年を重ねるごとに恥に対してのセンサーが鈍くなっているのも確か( ̄▽ ̄;)
あんなに恥ずかしい思いをしたエロ漫画暴露を、このような不特定多数が読むブログに平然と書けるようになったということは、恥を恥とも思わなくなった図太さが身についていったのかも。
方向性を間違って、恥じらいを忘れたおばさんにならないように気をつけようと思った、えみ子さんなのであった。
ではでは。
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