「親孝行したい時には親はなし」という言葉の意味は、自分が年老いて親の気持ちが分かるようになり、大切にしようと思った時には、すでに親は亡くなってしまって、もうこの世にはいないことが多いということ
ことわざの参考書より
親を粗末に扱って、後悔しないように諭す言葉だと思うのだが、私にはこの言葉が脅迫のように聞こえる。
親を大切にしなければ、後で後悔する。分かっている。
しかし、自分のことで精一杯の私は、何か搾り取られているような気分になるのである。
既婚者の親孝行
結婚して、孫の顔を見せることが親孝行。
そんなこと言ったら全てのアラフォー独身女は親不孝決定であるし、いつの時代だよとは思うが、それはそうかもしれない。
私のすぐキレる妹は、結婚して子供がいる。→姉妹でも、全く気が合わないことがある
そして、妹の考える親孝行とは親に甘えること。(と、思っているように見える)
子供たちの洋服をねだったりすることもそうだが、高級食材を何の遠慮もなく受け取り、「ありがとう」と言って喜んで見せれば、もうそれだけで親孝行完了。
私の散財系の母も、それで喜んでいるようだし、孫たちのためなら何でもしてあげたいと思っているようだ。
独身女の親孝行
既婚者が孫の顔を見せることが親孝行なら、子供のいない独身女は一体どうすれば?
やはり、旅行に連れて行ったり、プレゼントを渡したり・・・とか?
他にも経済的支援のようなことしか思い浮かばないが、仕事ばかりしてきた気楽な独身女にだって、自分の生活があるし、老後もやってくるのだよ。
親孝行よりも、自分の生活を優先させたいと考える度に、罪悪感に苛まれる。
親孝行って一体何?
40代になったら「親のことを考えよう」とか、「親との時間を増やそう」とかいうことを聞くことが多くなる。
それはそうかもしれないが、私の場合、若い頃から割と親のことばかり考えてきていたような気がする。
考えるだけではなく、(主に20代の頃)経済的に助けもしてきたので、正直言って「まだこれ以上、何かしないといけないの?」と思ってしまう。
思ってしまうが、これからが本番なのかもしれない。
うっかり介護とか始まったら、どうすればいいんでしょ?( ̄Д ̄)ノ
やはり大切にしないと、後悔するんだろうな。
ドケチな父のてっちゃんと、20代の娘が一生懸命働いたお金を、何の躊躇もなく受け取る散財形の母がとてつもなく怖い。
やさしい気持ちで「親孝行したい」と思えるような、孝行娘になりたかったと思う、えみ子さんなのであった。
ではでは。
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