私は決して自分が潔癖症ではないと誓えるし、かなり食い意地のはったアラフォーだと自覚している。
そんな私でも、他人の作った料理で喉が詰まりそうな感覚を覚えたことがある。
その時に感じた。
料理には、作った人の念が込められていると。料理そのものがダメではなく、作った人がダメで食べられなくなることがあるのだ。
衛生問題
人によっては、どんな衛生状態で作ったか分からないから、食べられないという人もいるだろう。いわゆる潔癖症というやつだ。
ちゃんと綺麗なキッチンで料理が作られているのかも分からないし、手も洗わず、鼻をほじった後に野菜を切り始めているかもしれない・・・。
以前、他人の作った料理は食べられないという知人に聞いてみると「トイレに行った後、手を洗っているかも分からないのに」と、言っていた。
潔癖症の人の想像は膨らむばかり。
人の食べかけだってありがたく頂戴するし、下に落ちた食材でも『3秒ルール』が適応される私としては、その潔癖症さんの想像力に驚いたものである。
この人、私が作った料理は絶対食べないだろうなと、確信した。
誰が作ったか問題
どんな潔癖症さんでも、食べなきゃ生きれない。
自分の母親や、彼女といった超限定的な人が作ったものなら、食べられるということを聞く。
そんなことで外食の時はどうするんだ!!ということになるが、結局『人による』ということらしい。
私は親の作った料理はもちろん、近所のおばちゃんが作った料理も、友達の家にお呼ばれして出してくれた料理も、今まで美味しく食べられていたので、『人による』ということを考えたことがなかった。
それが一時期、苦手な人からなぜかお昼時に、卵焼きなどのちょっとしたおかずをもらうようになった。私が喜ぶと思っているのか、毎回めっちゃ笑顔で渡される。
その人が、せっせと卵を巻いている姿が想像できる、卵焼き。
喜べよ。感謝しろよ。朝からわざわざ巻いてやってるんだぜ?美味しいだろ?見返りは?という念を感じて、なぜか喉を通らない。
卵焼きは大好きなはずなのに、苦手な人が作っていると思うと、味がしないゴムを飲み込んでいるような気分になった。
誰が作ったかって、結構大事なんだなと思った出来事であった。
もう私、バレンタインデーに手作りチョコなんて絶対渡さない!!作ったこともないけど。
断る問題
他人が作った料理を、美味しく食べれた方が幸せである。
食べる人の好きそうなものを考えたりして、一生懸命作った料理を喜んで食べてもらえるのは、本当に嬉しいことだと思う。
私も(数えるほどしかないけど)人に作ったことがあるだけに。美味しいでしょ??の念が強すぎたかもしれないが。
それを食べてもらえないと思ったら、やはり悲しい。
それも分かるので、卵焼きを遠慮する時の気まずさと言ったら・・・地獄。
食べれた方がいいのは分かるが、喉に詰まって気持ち悪くなっちゃうから仕方ない。と、自分に言い聞かせたのである。
良好な人間関係を壊しかねない案件となるので、自分の作った料理は、どんなに美味しく作ったとしても、全ての人が食べれるわけではないということを、頭に入れておいた方がいいのかもしれない。
というか、自分の作った料理を、やたらと他人に勧めてはいけないご時世と知る。
断る人の心苦しさも知った、えみ子さんなのである。
ではでは。
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