独身中年女は他人に尽くしすぎる人生から脱却

内面の迷走
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誰かのために何かしてあげたい。

そう思うことは素敵なことだと思うし、誰かの役に立っていることで自分自身も喜びを感じることができるなら、きっと幸せになれる。(ハズ)

しかし、それはあくまで自分自身が満たされ、自分自身が自発的に「何かしてあげたい」と思うことが大事なのであって、強要されたり、我慢したりするようなものではない。

何かの自己啓発本に書いていそうなことであるが、本当にそうだと思う。

「嫌われたくない」「ぼっちになるのが怖い」そのような理由で自分の気持ちに蓋をしたり、やりたいことを我慢して相手に尽くしても、最終的には恨み言を言うはめになるからである。

先日、スーパーで買い物をしていた時に盲導犬を連れた目の不自由な女性の方を見かけた。

最初は商品に集中していたため、全く気が付かなかったのだが、どっちの鶏胸肉にしようかな?なんて考えている時に、急にデッカい犬の足が目に入ったのである。

え?なんでこんなところに犬が?と、最初はびっくりしたのだが、どう見てもラブラドール・レトリバーの盲導犬。

昔、盲導犬の特集番組を見たりしていたし、実際に盲導犬を連れている人を遠くから見たことはあってもこんなに近くで見たことなかったので、ついマジマジと見てしまった。

すると、盲導犬と目が合ってしまったのだが、不安そうにこっちを見ているではないか。(そのように見えた)

こりゃ仕事中の盲導犬の邪魔をしちゃいかんなと思い、早々にその場から離れたのだが、あの盲導犬は幸せなのかなぁ?なんて考えてしまって、しばらくその盲導犬の顔が頭から離れなかった。

いや、今もか。( ̄Д ̄)ノ

以前、妹一家が犬を連れて帰省していた時に一緒にドックランに行ったことがあるのだが、走り回って匂いを嗅ぎ合ったり、時には威嚇したりと自由に過ごしている犬たちは、みんな尻尾フリフリで笑っていたというのに。

犬ってね、笑うんですよ!( ̄Д ̄)ノ

保護犬のその後

もちろん、盲導犬が目の不自由な方にとってかけがえのないパートナーになっているというのは頭で分かっているし、そのパートナーである盲導犬のことも大切にされている(ハズ)。

でもあの盲導犬だって走り回って楽しく過ごしたいだろうし、体調不良でじっとしていたい日だってあるだろうに・・・などと考えると切なくなった。

目が不自由になったこともない、犬も飼っていない私がこんなことを言う(書く)のも何だが、全ての盲導犬が仕事を終えた時、犬ファーストの環境で過ごせることを願う。

とまぁ、そんな尊い盲導犬を見て、なぜか自分を重ね合わせてしまった、厚かましいワタクシ。

あくまで、心の状態として!( ̄Д ̄)ノ

私は盲導犬のように全てを他人のために捧げていた訳ではないが、一緒にいる人が嫌な思いをしないように、言葉を選んだり行動したりしてそれなりに尽くしてきた。合わせてきたとも言う(書く)べきか。

それは相手が苦手な人であっても、訓練された犬のごとく!!( ̄Д ̄)ノ

別に盲導犬のように助けが必要な人を相手にしているわけではないし、嫌なことは嫌と言ってもいいのに。

why?? ( ;∀;)

やっぱり嫌われたくなかったし、ぼっちにならないために必死だったんだろうなぁと思う。

しかし、そのような生き方をしてきてもいいように使われる(としか思えなくなる)だけで、結婚できてないし、家族とも上手くいってないし、職場の人間関係だって上手くいっていない、独身中年女の出来上がり・・・。

どうせぼっちになるなら嫌われない、ぼっちにならないために他人に尽くして不満タラタラの独身中年女ではなく、孤高の独身中年女を目指したい。

最近では他人に合わせてるなー、手を出しすぎてるなーと思ったら、意識的に引くように心がけている。

今まで何も考えずにやっていたことなので、意識的にしないとあっという間に元通りなのである。

何だか厨二病のような中年女になってきたなと思う、えみ子さんなのであった。

ではでは。

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コメント

  1. MK より:

    一歩引いて物事を考えられる、えみ子さん。
    立派だと思います。

    世の中には自分中心の言動の方が多いですから。

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