『老害』とは、自分が老いたのに気がづかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪のこと。
言葉自体は、ひどい言いようだなと思うし、ただ歳を取ったからといって、害になっている訳でもない。
生きていれば歳を取るのは当たり前で、経験値が上がった見習うべき人だっている。
私の思う老害となる人は、変化しようとしない人だと思う、今日この頃。
老害おじさん
老害と聞くと、なんとなく60過ぎたくらいのおじさんをイメージしてしまう。
- 自分が正しいと思っている
- 自分の意見を曲げない
- プライドが高い
- 話が長い
- 怒りっぽい
- 間違いを認めない
- 変化を嫌う
- 自分は若いと思っている
the・おじさんとはこんなイメージ。
もちろん、こんなおじさんばかりじゃないことは、分かっている。しかし、このような傾向は強い。
大抵、自分がこのような傾向にあることを自覚してないまま、都合の悪い時はちゃっかり老人ぶるので、扱いに困るのである。
老害おばさん
何もおじさんだけではない。働くおばさんだって老害になりうる。
場合によっては、おじさんよりも扱いが難しいような・・・。
これは、私が女性だからなのかもしれない。
印象としては、女性の方が感情的になりやすい。とにかく沸点が低いし、何が怒りのスイッチとなっているかも分からない。
日々、刻々と変わっていく感情の、バロメーターが可視化できたらいいのに思うほどだ。
正直、近づかないことが一番なのである。
老害予備軍
最近、ひょっとしてアラフォーと言える年代も、早々と老害になってるんではないだろうかと思う事が増えてきた。
60過ぎのおじさん達と、アラフォーである自分達(世代)とは、全く違うと思っていないだろうか。時々、言ってる事にまったく共感できない時があるので、私も違うものと思っていた。まさに、『私はまだ若い』という、思い込み。
しかし、その老害と言われる人達の言ってることを『共感できない』と思っていても、言われた通りに動く。(世知辛い、大人の世界では仕方のないことである。)
が、そんなことを続けている内に、意味分からないことが、当たり前のように思えてくるのだ。
当たり前と思っているアラフォー世代が、さらに若い世代にも、過去の価値観を押し付ける老害となる、負のループ。
負のループを断ち切るために、ここで意識したいのが、変化すること。
まず、自分が変化する。
自分が、今まで当たり前だと思っていたことを、まず疑う。
若い人達の価値観を、知ろうとする。
若い人達の当たり前が、これからの当たり前を作っていくのである。
年齢を重ねた人からの学びと、若い人の価値観のいいとこ取りを目指したい、えみ子さんなのである。
ではでは。
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