毒娘の主張

家族の迷走
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ちょっと前から、よく毒親という言葉を聞く。

昔はそんな言葉を知らなかったので考えたこともなかったが、言葉の意味を知ってしまうと、あれ?うちの両親に当てはまるような・・・?と思うようになった。

と言っても、暴力を振るわれたわけでもないし、衣食住に困ったことはないので「私の親は、毒親なんです!!」と声を高らかにして宣言できるものではない。

ただ、モヤるものは確かにある。( ̄Д ̄)ノ

おまけに現在は実家に住まわせてもらっているので、このようなことをブログに書いても「自分が自立していない中年女です!」というような恥を晒しているようなもの。

分かっちゃいるけど、毒娘は主張したいのである。

我が家は、私が子供の頃から(特にお金のことで)両親の言い争いが絶えない家であった。

考えてみれば、子供の教科書代も出し渋る父と、計画性の全くない、楽しいことに流されがちな母なので、相性がいいわけない。

そんな言い争いの絶えない家庭で育った私は、両親の顔色を伺い、大きな反抗期もなく育った良い子ちゃん。

と、自ら言わせてもらう。( ̄Д ̄)ノ

気性の荒い妹の反抗期が凄すぎて、私の反抗期が目立たなかっただけかもしれないが。

働くようになってからは、妹の成人式やら、運転免許の習得やら、引っ越しやらの費用を捻出し、母から「お金貸して」と言われれば、モヤりながらも(使い道も聞かずに)貸してきた。

成人式はめでたいが、お金のかかるイベント

しかし、こういうことが当たり前と思われ、さらに自分の首を絞めていたと気づく。

今年の1月、母は何もできない父と老猫メリーの世話を私に押し付けて、1ヶ月ちょっと妹のいる関東へ行ってしまったことがあった。

母としては「無職を住まわせているのだから、これくらいはやって当たり前」と思っていたのかもしれないが、その間、私はどこへも行けなくなるし、自分のためだけに使うと決めていた貯金残高がよく分からない支出で勢いを増し、心のデスノートに家族の恨み言を書き連ねていった。

そんな私が、母が家に戻った時にどうしたかというと、口も聞かずにそのまま一人旅にとんずら。

キャリーケースをゴロゴロさせて実家を出る時、私の態度が気に入らなかったらしく、母は激怒していたが、「今までのようにヘラヘラ笑っていては、またいいように使われる!」と思った私は、そんな母をスルー。

気分は初めての反抗期。( ̄Д ̄)ノ ハズカシイワァ

実家を飛び出た後、フェリーに乗るくらいまではイライラしてしょうがなかったが、旅をしているうちにどうでもよくなっていった。

やはり、自分の機嫌は自分で取るしかないのである。

旅行中に、こんなことも思った。

いつも私の状況や感情を完全無視している人たちのことを、そんなに真面目に考えるのをやめようと。

それは、家族といえど同じ( ̄Д ̄)ノ

完璧な親が存在しないように、完璧な娘も存在しないのである。

そう思って実家に戻ってからは、(働き始めたってのもあるけれど)積極的な家事は放棄し、一応聞くふりをしていた母の昔話にも明らかにつまらなそうな反応で示している。

だって100回くらい聞いたし。

母も、私が怒っている態度を見せて初めて悪いと思ったのか、謎のいたせり尽せり。

結局、親の良いように頑張って合わせていたところで、恨みつらみが蓄積されていくだけで、良いことがない。

(親と同じように)自分の好き勝手にやって、迷惑をかけた時には「ごめんねぇ〜」と言っておこう。

そっちの方が、自分のうまくいかないことを「親のせい」にせずに生きていけるような気がしてきた。

経済的な自立も大事だが、精神的な自立も目指したい、えみ子さんなのであった。

ではでは。

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コメント

  1. れもん より:

    ほんとソレです❗️
    下手に相手に合わせても自分が疲れるだけですよね~❗️
    えみこさんの生き方改革、イイ感じですね❗️

    • えみ子さん より:

      れもんさん
      自ら書いておきながら、親不孝者め!とか言われるんじゃないかとビクビクしてました。
      なんか、ありがとうございます。笑

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