仕事の比重が重すぎた人間の退職模様

働き方の迷走
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次の仕事の見当もつけていないのに、正社員を辞めてしまった私であるが、辞めたこと自体には後悔はない。

あのまま船に乗り続けたとしたら、間違いなく死ぬ間際に後悔するから。

が、20年以上も続けていたものを辞める決断というのは、やはり勇気がいったし、辞めて1ヶ月が経とうとしているが、けっこうな腑抜け状態である。

(片付けはしてるけど→毒娘による実家の片付け開始

今まで、どれだけ仕事に重きを置いていたのか、実感している今日この頃。

会社に退職の意思を伝えたのは、退職3ヶ月前のことであった。

会社に伝えた後は普通に仕事をしていたし、特に何とも思っていなかったのだが、最終日には一気に「最後」という実感が急に湧いてきた。

もう、こうやって舵を握ることは二度とないんだろうなー。なんて、考えるだけで涙が出そうになったし、最後の挨拶では「そんなに泣くなら辞めんでも」と言いたくなるような大号泣。

一番最初に挨拶した私が泣くものだから、後に続いた(定年の)おじさんももらい泣きという、カオスになった。

あと20年以上頑張れないという判断をしたものの、私って、それまで自分のエネルギーのほとんどを船のことに注ぎ込んできたんだなぁと実感したし、30歳の頃に前の会社が倒産して無職を経験しているが、自分の意思で退職するのと、全く違う感覚である。

年齢のせいかもしれないが。

仕事で一度積み上げてきたものを一気になくすというのは、思った以上の腑抜け状態を生んでいる。

仕事が全てではないと、自分で思っていたはずだが、引っ越しして今までの人間関係にも一気に距離ができたことも大きいかもしれない。

この何も無くなった状態で、また新たな目標というか、幸せの基準のようなものを探すのは大変だなぁと思っている。

しかし、アラフォーでこの状態なら、定年まで続けた後だともっと腑抜け状態になったこと、間違いなしであった。( ̄Д ̄)ノ

仕事を辞めるということはバンジージャンプを飛ぶような気持ちであったし、他の人から「このご時世に後が決まっていないのに無職なんて、バカじゃないのか」という風に思われるのではないのかと、ちょっと(いや、かなり)ビクビクしていた。

それなのに、定年で辞める人のような扱いである。( ゚д゚)アラ?

職場の友人からは門出だからとプレゼントを貰い、従兄弟は退職祝いとしてお高そうなワインをくれたし、引越しを手伝ってくれた親戚はお祝いのケーキまで用意してくれた。

なんか、想像していた退職と全然違うんですけど!??((((;゚Д゚)))))))

もっと肩身の狭い想いをするものだと思っていた。

まぁ、確かに仕事がなくなっても、すぐにどうこうなって死ぬわけではない。(という事を、現在実感中)

あの時に辞める決断をして良かったと思えるかは、この後の行動にかかっているが、最初に言ったように、現在は結構な腑抜けである。

蓄えが底をつく前に、何かしらのやる気が出てくる事を祈りたい、えみ子さんなのであった。

ではでは。

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