人は見た目じゃない、中身が大事。もちろん、それは分かっている。
しかし、見た目がどうでもいいとは思わないし、美人の方が得することは、知っている。
いつから、そんな風に考えるようになってしまったのか。
人は、オギャアと生まれた時、自分がブスか美人なんて認識は持ってない。確実に、育っていく過程で人から刷り込まれていくもの。
そんな世の中に、誰がした?( ̄Д ̄)ノ
ブスとはなんぞや
言っておくが、私は自分のことを、そこまでブスと思っていない。そして、世の中の女性も、そんなに酷い人はいないと思っている。
一昔前、自分のことを『ブス』と言ってネタにしている女芸人さんがいたが、正直、美人とは言えないが、ブスともいえないような人ばかり。しかも、芸能人比で。
テレビでそれを見る度に、巷にはこんな人いっぱいいるじゃん!!と、よく突っ込んでいたワタクシである。
これでブスなどと言われたら、私は一体どうすれば!??
最近は、テレビでブスいじりがなくなったのは、私は良いことだと思う。
だって世の中のブス基準が、その芸人さんとなってしまう恐れがあるから。それではハードルが高すぎではなかろうか。
最初に見た目を意識する時
見た目がいい方が得をするというのは、子供の頃に知る。
それを最初に教えてくれるのは、周りの大人たちではないだろうか。
私の場合、比較される対象がいつもそばにいたので、その扱いの違いを、まざまざと見せつけられたので、そう思う。
その比較の対象だったのが、妹。
私と妹とは全く似ておらず、私が一重で、妹はパッチリ二重のお目々。
子供の頃は、よく「全然似てない」と言われてた。
しかも、「あら、妹さん可愛いねー」と褒めちぎってからの私を見て、特に感想なし。大人は正直なのだ。
思い出すと、今よりも昭和の方がもっとあからさまだったと思うのだが、幼稚園でのパレードでのこと。
太鼓を叩く子供、トライアングルを鳴らす子供、みんながそれぞれのパートに振り分けらるのだが、その中で、確実に見た目重視で選んでいるパートがあったのだ。
そのパレードの先頭を歩く、可愛い衣装を着てボンボンを持って歩く女の子。クラスの中から、3名(だったかな?)が選ばれる。
それを、幼稚園の先生たちが選んでいるって、どうよ?今は、そんなことないのかしら?
昔の幼稚園の先生って、けっこう残酷だったと思うのは、私だけ?
そのボンボン持ちに妹が選ばれたのだが、パレード中「可愛いねー」という言葉を、大人たちから一身に受ける妹。
それを見て、母が得意そうにしてたのを覚えている。
そんな母の態度に、姉、完全ジェラシーである( ̄Д ̄)ノ
こんなことを言ったら、母は「そんなことない!」と言って、絶対に否定するだろうが、妹が生まれた時に、絶対にこう思っただろうなと思ってる。
『あら、こっちの方が(顔が)可愛いわ。』
見た目に執着しすぎない
見た目で周りのチヤホヤ度が全く違ってくるので、整形に走ってしまう女性の気持ちは、分かる。
私も何度目を二重にしようかと思ってことか。あと、ちょっと顎が出てるのも気にしてる。
しかし、たまに(ネットで)整形を繰り返している、若い女性を見ると『そんな痛い思いをしてまで・・・』とも思ってしまう。
本人が幸せになれるならいいが、見た目至上主義って、すごく痛そう。
そんな見た目に悩んでいる若い女性に、私は言いたい。
私も、若い頃には嫌な思いもしたが、アラフォーになって分かったことがある。
それは、加齢と共に顔は変わる。
そして、美人さんとの差は確実に縮まってくるということ。
加齢によって顔が変わるというのは、私の尊敬する(叶)恭子お姉様もおっしゃっていた。
それに、子供の頃は全く似てないと言われ続けた妹と、近年は『似てる』と言われるようになった、不思議。
全く人の言うことは、いいかげんである。
そんないいかげんな言葉に、傷つかなくてよろしい( ̄Д ̄)ノイッパイキズツイタケド
私も、見た目がどうでもいいとは思わない。整形に走る前に、メイクや洋服などを、変えてみてはどうだろう。
自分に似合うものが分かれば、印象が違って見えるし、気分もアガる。
そうやって、あれやこれやとやっている内に、顔の造形よりも、清潔感の方が重要になってくるお年頃を迎えることとなる。
清潔感!メイク!服装!これで大人の素敵女性を目指そうと思う、えみ子さんなのである。
ではでは。
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